プロフィール
PR

けんた(ダンナ)のプロフィール

Kenta
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

初めまして。

けんたです。
(美味すぎて、週10くらいで通ってたカレー屋さんでの一コマ。)

ここでは、ヨメと出会うまでのプロフィールをまとめました!

スポンサーリンク

けんた(ダンナ)のプロフィール

出身:千葉県大網白里市

1993年生まれ、現在30歳。

生まれも育ちも千葉県で、大網白里市(旧大網白里町)という
田舎町で中学生までのんびり過ごしました。

高校と大学は、千葉県我孫子市に住んで、部活に打ち込む日々。

サッカー少年だった日々

小学校から大学卒業までの約12年間、クラブチームや部活動でサッカーをやってきました。

大学でもガチガチ体育会の部活動に所属し、プロも目指しましたが、
レベルの高さを知りプロになることを諦める。

いわゆる「挫折」ってやつです。

卒業後のことも特に決まってなかった時に、
とあるきっかけで、大きく方向転換することになります。

台湾行きの航空券を、兄が買ってくれた。

大学時代、本気で打ち込んだサッカー部を引退した日の翌日。

いきなり兄から電話がかかってきて、

「お前、台湾行ってこい。」

と言って、台湾行きの航空券を買ってくれました。

もともと、兄は海外旅行や旅が好きで、いろんな経験をしていて、
その経験を、弟にも、と思い買ってくれたんだと思います。

とりあえず行ってみるか~。

と、まぁ軽い感じで初海外一人旅に出かけました。


地獄でした。(笑)


言葉は通じない。
何を食べればいいかもわからない。
行き先がどこにあるかわからない。
バスの乗り方がわからない。
土砂降りの雨で宿に帰れなくなる。

でも、



めちゃめちゃワクワクしました。



海外が好きになり、日本を出たいと思った。

日本を出てみて、いろんな困難があったけど、
なぜだかわくわくしました。

何か没頭できるものが、その先にあるのではないか、

と感じ、海外に出ることを決意。

100万円で海外へ

大学4年生の卒業前に全財産が100万円ほどあったので、このお金で、世界を回ろうと思いました。

卒業前に両親に話しました。

自分『このお金で世界を廻る。』



両親『日本で就職しなさい』



自分『はい』

秒殺】

世界放浪の夢は絶たれました。

(今では、自分の活動を応援してくれて、自由なことをやらせてくれてる両親に超感謝してます。)

日本で就職するも、わずか5ヶ月で退社。

ということで、さっと切り替えて、日本で就職。

とは言ったものの、
会社の中で、海外勤務のチャンスがあった飲食事業部に入るも、

海外へ行きたい意欲が収まらず、わずか5ヶ月で退社。
(幻の正社員時代と呼んでいる。)

退社を決断してから約2週間ほどで、海外へ飛ぶことに。

超絶カオスな国・”インド”へ

選んだ国は、

”インド”

なぜ、選んだのか?と聞かれれば、

”なんとなく”

と答えます。
(これを”インドに呼ばれる”というみたいだが、真相はわからない。)

インドに馴染み、インドにいると落ち着く程に。

インドに魅了され、ゲストハウスで働いたり、旅をしたり、約2年の月日が流れました。

そして、ヨメに出会う

インド滞在時、ゲストハウスでお手伝いしていた時に、ヨメに出会いました。

ここから人生は急展開をし、
フランス滞在、日本でリゾバ経験、カナダワーキングホリデー、

そして、コロナパンデミックを経て、あれよあれよという間に、
フードトラックでカレー屋さんを始めることになりました。

旅好きな夫婦として、これからも旅を続けるべく、二人三脚頑張っています。


以上、けんた(ダンナ)のヨメに出会うまでのプロフィールです!

出会ってからの2人のストーリーは、2人用の紹介文にまとめていますので、そちらをご覧ください!

出会いからカレー屋さん開業までのストーリー!

けんた(ダンナ)の現在の活動について

現在、ヨメと二人三脚、カレー屋さんとして生計を立てています。

その傍ら、別事業として、こんなこともしています。

  • けんたのぶろぐ運営(2017年〜)
    ⇨ 2023年より、ヨメ参戦!
  • インドコーヒー豆のロースター(2021年〜)
    ⇨ 印度珈琲豆専門店《 Achha Coffee 》

ちょっと気になる方は、ぜひこちらも覗いてみてください。

印度珈琲豆専門店!
スポンサーリンク

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
けんた(ダンナ)
けんた(ダンナ)
ブロガー / ライター
カレー屋 / 印度珈琲豆焙煎士
千葉県出身で新卒で入社後
わずか5ヶ月で退社しインドへ渡る。
初の渡印でインドに魅了され、合計約2年ほど滞在。
現在は長野県の人口1500人の中山間地域へ移住。
スポンサーリンク
記事URLをコピーしました