みなさん。こんにちは。
”喜望峰”
もちろん知らない日本人なんていませんよね。
日本の小学校教育では、必須の単語です。
(実際”ザビエル”のほうが圧倒的知名度)
実は僕、中学校社会科・高校地理歴史科・高校公民科の免許状持っています。
(ペーパーだけね。はは)
そんな教員免許状保持者が”喜望峰”に行かないわけにはいかない!!
というわけで、今回は、僕が行った喜望峰へ道 by チャリ!!の予習のお話です。
- 喜望峰の概要を知りたい(場所・由来・歴史)
- これから喜望峰に行くから、歴史を知っておきたい
目次
喜望峰に行く前に知っておくべき4つのこと
1⃣.喜望峰の場所・地図はどこ?
地図で見るとこんな感じです。
アフリカ大陸の南にあります!
南アフリカ共和国、ケープタウンのケープ半島にあります。
日本からだとものすごく遠いですね!!
距離にして約15000キロ。

下のグーグルマップで拡大してみてね☆
実は、喜望峰って、
アフリカ大陸の最南端ではないんです!
最南端は、”アガラス岬”と呼ばれるところで、
喜望峰からは東南東に約200キロほど行ったところにあります。
これ覚えておくといいよ~☆
2⃣.喜望峰の由来
喜望峰の名前の由来とはいったい何なのでしょうか??
あ、今更ですが、読み方は、”きぼうほう”です!
それでは過去をさかのぼってみましょう!
1487年、今から500年以上前のお話。
ということで、インドを目指し、出航。
アフリカ大陸の海岸沿いを進んでいきます。
ところが、、、
そして彼らは、遭難したのです。。
嵐が去り、何とか御一行は難を逃れました。
アジアに向け、東に進んでいたバルトロメウ御一行ですが、
遭難したため、アフリカ大陸を通り過ぎたと思ってしまいました。
そこで航路を北に変更します。
そこで到着したのが、なんと、、、
アフリカ大陸。
御一行はポルトガルに帰ることに。
その帰路の最中。
そうです。
これが後に言われる“喜望峰”です。
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そしてバルトロメウは王様に報告しました。
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ということで“喜望峰”が発見され、名づけられました。
(実際のところ、由来はまだ学問的に証明されてないようです)
参考までに、航路の写真を載せておきますね☆
(教員免許持ってますから、資料集くらい持ってますよ。)

3⃣.バスコダガマ、喜望峰経由しインドへ
バルトロメウが喜望峰を発見したのは結構な功績で、のちに、
“バスコダガマ”が、喜望峰経由で、インドに到達しました。
バスコダガマが、航海ルートを確立し、
ポルトガルは、インドとの貿易が盛んになりました。
貿易で主な輸入品は、香辛料でした。
(さすがカレーの国インドです)
この貿易はポルトガルの繁栄に大きな勢いをもたらしました。
実は、バスコダガマの航海もとても厳しいもので、
出国時=船4隻・乗組員170名
帰国時=船2隻・乗組員55名
と、3分の1ほどしか帰還できていません。
4⃣.喜望峰って英語でなんて言うの?
これからけんた(管理人)はチャリで喜望峰まで向かいます。
そのためにはまず情報集めですね。
でも、情報集めで”喜望峰”を連発しても、
南アフリカ人は誰もわかりません。
ちゃんと、英語名を学ばなくてはいけま..
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どぅるドン!!!!
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はい、ということで、
正しくは“Cape Of Good Hope”が答えです!
皆さん是非覚えておいてね~☆
まとめ
“喜望峰”
名前は、聞いたことがあるかと思いますが、
このような背景があったのご存知でしたか?
・ポルトガルは、アジアと貿易したい。
・バルトロメウが、出航するも到達できず。。
・帰り道に、”嵐の岬”を見つける。
・王様がそれを”Cape Of Good Hope”(喜望峰)名付ける。
・それをもとにバスコダガマがアジア(インド)へ到達。
・ポルトガルはインドとの貿易で繁栄する。
このような歴史的背景です!
皆さん覚えておきましょう~☆
次回予告
次回ついに、けんたがチャリンコで喜望峰へ向かいます!
“バスコダガマは航路を確立!果たしてけんたは、陸路(チャリ)を確立できるのか?!”
にしようかと思ってまーす!
ぜひみてねー!!

またこの人。。。
ありがとう☆
(完)
後編はこちら↓↓から☆
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